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「言葉」

 私には、言語障害がある。1年前、私はある介助者に、それでも自分の言葉で話したほうがいい、わからなかったときは通訳するから、といわれた。私は駅でも、駅員に自分で話している。駅員がわからなかったときだけ、介助者に通訳してもらっている。タクシーに乗るときもそう、電話もそう、自分で話している。ある介助者は、私が何を話しているのかわからない人はいい加減に聞いているからじゃないか、といっていた。私が話すことを真剣に聞こうとすること、「共に生きる」とはこういうことでもあると思う。

 昔、私は「なまずの家」に泊まりにいった。泊まった翌日の朝、私はある男の知的障害者にぶたれた。なぜ、そんなことをされたのか、当時はわからなかった。でも、今はわかる。そのとき、なまずの家に女のこが2人いた。私は、この2人と楽しくおしゃべりしていた。今から思えば、彼は自分は相手にされていない、自分はのけ者にされている、と思ったのだろう。彼は、言葉はうまく話せないけどそう思ったにちがいない。頭にきたのだろう。私もあべこべの立場だったら、やはり怒るはずだ。その後、共通の友だちの結婚式で、この男の知的障害者と会ったとき、彼は私のことをほんとうに大事にしてくれた。言葉でやりとりできなくても、気持ちでわかりあえることがあるんだ、と私は思った。

 私はいくつもサークルに参加しているが、私の話を真剣に聞こうとしてくれるサークルも2つほどあるけど、そうでないサークルもある。私はわかってもらえるまで話し続ける、だからみんなもわかるまで聞いてほしい。時間なんて関係ない。当たり前のことだ。このあいだ、昔からお世話になっている弁護士さんが、いいことをいっていた。時間はいくらかかってもいい。お互いに納得するまで話し、そして聞く、これが大切なのだ、と。大学の先生とかエライ人は、私の話をあまり聞こうとしてくれない。めんどうなのだろう。私は、これは障害者に対する差別だと思う。差別は禁止だとかいろいろいっているが、こういう人たちは信用できない。

 私の介助者のなかにも大学の先生がいるけど、彼は私の話を真剣に聞こうとすることにより、多くのことを勉強している。こういう人は、ほんとうにいい人だ。あと、私といい意味でケンカしてくれる介助者も。大切にしたい介助者はこんな人だ。私から逃げる人は「弱い」人だと思う。
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差別禁止法


● 障害者のいっていることはわかる。私と同じ考えの人もいれば別の考えの人もいる。
カッコいいことをいっていても、できる障害者とはいっしょに動くけど、出来ない障害者は相手にしない。
エラそうなことをいっているだけ。これは大事な問題だ。これじゃ差別禁止法は意味をなさないと思う。
東京南部の障害者は(健常者も?)何も変わっていない。

● 私は障害者を養護学校に入れること、施設に入れることには反対だ。なるべく普通の学校に行った方が良いと思う。
グループホームもちょっと・・・。グループホームもあっていいけれど、1~2年でアパート生活に移った方が良いと思う。

● 私は最近考えた。私が参加している団体で、知的障害者の人を呼んで講演してもらった。
その知的障害の人は、文章はなるべくひらがなで書いてほしい、ルビをふってほしい、といっていた。
この言葉は私の胸に響いた。今まで私も、知的障害者の人を差別してきたのでは、と考えた。

● 私が知っているある健常者は良く分かっている人だ。東京南部では、この人をおいて他にこんな素晴らしい人はいない。
今、改めてそんなことを思っている。

ぼくの思い

2003年、ぼくは移動支援費124時間をもらいました。
2004年、大田区に32時間の枠をはめられてしまいました。大田区の障害者はいろいろと支援してくれると言いましたが、何もやってくれなかった。大田区と仲良くやっていく人ばかりで、何も解決できない。
ぼくは本当はイヤだけど、これは自分の運動だと思ってやりました。ぼくはこんな運動はやりたくないと思っていましたが、障害者が当たり前に生活していけなくなったらいけないと思ってやりました。仲間がいなくても、誰かついてきてくれると思いました。ただそれだけですよ。ハッキリいわなかったら、ぼくらも僕らの気持ちも変わらないと思います。そうおもいました。ただそれだけですよ。ぼくはカッコいいことはやっていません。イヤだもん。それだけです。

ピース

ぼくのように気楽に!

切符問題

 20年前、私は有志を募った〈健常者と障害者を考える〉というサークルに参加していました。その集まりでは、障害者と普通の人、どっちが多いんだろう?といった漠然とした意見が出たりして、日ごろ疑問に思っていることなどをよく話し合いました。私のその時の意見は障害者が一番多いと答えていたと思います。なぜなら一般的にメガネをかける人も視覚障害者に含められるし、年をとったら絶対に障害者が多くなると思ったからです。、みんなにはくだらないことをやっていたなと思われるかもしれませんが、私にはいろんなことを学ぶ場になり感謝しています。その頃から考えていたことを1つ話したいと思います。
 子供の頃、電車に乗るのに子ども切符を買って乗るのは、障害者も健常者も変わりありませんね。大人になれば大人切符を買う、それがあたりまえと思っていました。しかし、私たちだけは大人になっても子ども切符のままなのです。
何年前か覚えていませんが、私が大阪に行く用事があって、たまたま乗った路線の電車で僕の介護者に切符を買ってもらったら、障害者切符と介助者のきっぷを渡されたこに驚いたことがあります。私の頭は介助者のきっぷ一枚だと思ったけど、大阪は二枚?その時は何も気がつかなかったけども、それからいろいろと考えてきたことも含めて悩み、障害者きっぷがあってもいいんだ、と思いました。昔、大阪万博にも障害者きっぷがありました。映画館も遊園地もあったと思います。大阪は進んでる、大阪の地下鉄は進んでいると思います。やっぱり自分から変わんないとと思います。私は今でも障害者きっぷがあればと東京では思っています。この事は大事な問題です。これからも進んで行きます。

当り前な脳性麻痺

外国の友達のホームページをたまたま見てたら日本の脳性麻痺の人達のことを書いていました。
始めはあまり気にしていなかったけれども、その人たちは今ではちょっとしたブームになっています。

最近NHKを見ていていたら「きらっといきる」という番組の中で、とても面白い人たちが出ていて笑いました。
とてもスカッとした。
もちろんゲラゲラ笑って気持ちが良かったという面もありますが、脳性麻痺者が当り前のことをTVでしていてスカッとしました。

その脳性麻痺者が、友人が言っていた人たちでもあり、今や一世を風靡しそうな「脳性マヒブラザーズ」です。

彼らは、全国を回ってパフォーマンスをして、お金をとって、観客の意見を聞き、自分たちの「芸」を身につけてきました。
彼らがお金を取れるのは「障害者は可哀想だから」でしょうか?違います。彼らは「面白いから」お金が取れるのです。
今までも障害者の芸人はいたけども、本当の意味での芸人はいなかった。

これが当り前のことであって、「脳性マヒブラザーズ」は世の中を正常に近づけてくれている。
障害者は可哀想といった存在ではなく、障害者は一人の人間なんです。


追伸
この前も24時間テレビカッコいいことを言っていたけど、障害者を馬鹿にしているようにしか見えない。
NHKも昔はそうだったし、暗いことばっかりやっていたけど、「きらっといきる」はとても面白い。
これからは、障害者は可哀想や保護の対象といった面をドラマ化するのではなく、人間としての「ドキュメント」を撮った方が全然面白いと思う。
プロフィール

鈴木敬治

Author:鈴木敬治
ただの障害者です。たまたま変わったところがありますが、当り前な生き方をしています。
野球はヤクルト、音楽は吉田拓郎をこよなく愛しています。
フォークソングが大好きで色々な人の歌を聴きます。

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