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たまたま


 このあいだ若い友だちと話したんだ。そのなかでたまたま僕が18歳の頃、朝日新聞に自分の経験を投書したということを話した。

そしたら、驚いたことに、彼はその日の新聞縮刷版を持っているかことがわかった。彼がまだ生まれていない時に新聞なのでびっくりした。彼は昔の物を集めるのが趣味のようで、なぜか持っていたそうだ。

僕のところに、それを持ってきてくれた。懐かしい!
中身を下で書き出しておこう。


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酔漢と間違われた僕
身体障害者に理解のない公安職員

東京都 鈴木 敬治
(学生 一八歳)
 僕は東京都立光明養護学校高等部の生徒です。そして病名「脳性小児マヒ」の身体障害者でもあります。昨年一一月一三日の夕方、国電渋谷駅で受けた私の体験がいまだに忘れられないのです。国電に乗るため中央改札口付近にいましたが、カゼをひいていたためか急に気持が悪くなり、改札口のすみの方で休んでいました。
 その時です。駅員が鉄道公安職員二人を連れて来て、両腕をきつく抱え、片方の手をねじあげて交番に連れていこうとしたのです。どうやら僕を酔っぱらいと間違えたらしいのです。「ちょっと待って下さい」と言ったのですが、僕には言語障害があり、歩くときに体がゆれるので、二人の公安職員も酔っぱらいと頭からきめつけてかかっているようなのです。
 忠犬ハチ公の所にある派出所でおまわりさんにいろいろ聞かれ、身分証明書を出して、やっと家と学校に連絡することができました。翌日、学校の職員と友だちといっしょに渋谷駅の鉄道公安室に行き、事実をはっきり言ってもらおうと思いましたが、きのうの公安員はいなくて別の公安員が対応してくれました。しかし、「君は本当に酒を飲んでいなかったのかね」などと聞き、まだ不審そうな顔つきで、誠意ある態度ではありませんでした。
 外見だけで判断し、軽率な行動をとったことに僕はがまんできません。そして身障者としての自分の意思を相手に満足に伝えることのできない自分が悲しく、くやしいのです。僕たちも社会の中で生きているのです。

※一九七一年(昭和四六年)一月一〇日「朝日新聞」、「声」の欄に掲載。

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朝日新聞
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いろんな努力

今年、オリンピック・パラリンピックがあった。

僕は、それらに反対だ! 公園から野宿者を排除してやっているからだ。
 このことには間違いないと思っている。ただ、この期間に、ニュースなどでパラリンピックの選手が一生懸命頑張っているのを見た。それにはちょっと感動した。僕自身、若い頃スキーをやっていたのでスポーツは好きだ。

 ここでちょっと考えた。僕はパラリンピックが好きなんだろうか? いややっぱり嫌いだ。人がそれぞれ頑張っているのはすごいと思う。でもパラリンピックが嫌なのは、実のところひとの努力を認めないからだ。努力には色々ある。一種類の物差しじゃ測れない。

 僕も若い頃は、一種類の物差しでしか物をみてなかった。少し歩けたので頑張って歩くのが努力だど思い込んでいた。でも車椅子に乗って生活するようになって、いろいろ分かった。電動車いすを操縦するのだって努力がいる。介助をつけて生活するのも努力がいる。歩くのとは別の努力だ。また僕より重度の人が文字盤を使って言いたいことを伝えるのもすごい努力だ。生きているってこと自体、すごい努力だ。

 オリンピック・パラリンピックはこれらの努力を認めないからいやなんだ。野宿者も頑張った末に、いま野宿をせざる負えないんだ(50年前、外国だった沖縄から来て国立競技場やいろんなところをつくったひとがいた)。オリンピック・パラリンピックはみんなの努力を無視しているんだ。

ヘンな話だ

今年の2月のある夜、足が痛くて救急車をよんだ。救急を受け付けている病院に運ばれていき、検査をした。結果、「ほうかしき炎」という細菌がからだに入って腫れる病気だった。
最初、ベッドの空きがないということで、集中治療室に入れられた。集中治療室だったので介助をつけられないのはわかる。で、ベッドが空いたら一般病棟に移ることになっていた。ここで問題が起こった。病院側が、介助者が入ることを拒否するんだ。「新型コロナが…」とか理由をつけて 。

 さらにおかしいことがもう一つあった。僕自身は集中治療室に入っていたので聞いていないけど、介助者のひとが病院と交渉しているとき、病院から「延命措置を望みますか?」と繰り返し聞かれたらしい。介助者が「もちろん希望します」と答えたら、それを確認できる書類はあるか?」としつこく言ってきたということだ。新型コロナに備えて僕は自分の既往症や通院歴などを書いた「救急情報シート」を用意していたんだけど、介助者がそれを見せてようやく納得したらしい。恐ろしく変な話だ。僕は「治療の差し控えと中止」(いわゆる消極的安楽死)には反対だ。それは命の選別につながるからだ。でも仮に百歩譲ってそれが「あり」だとしても医療機関が「延命治療は不要」と本人が言った証拠を見せろと詰め寄るならわかるけど、「希望する」ということに証拠を見せろ言うのはとは全く理解できない。新型コロナの状況下でとてつもなく変なことが怒っているのかもしれない。

 介助については、厚労省は「新型コロナ」にかかろうがかかるまいが、「支援区分6」の障害者に限ってだけど病院での重度訪問介護の利用を認めている。僕はこれを何度も厚労省に確認してきた。それにもかかわらず、病院側は一方的に拒否してきた。介助者のみんなもおかしいと思い、行政の担当のひとを連れて病院に行っていっしょに交渉した。それでも病院側は認めなかったとのことだ。「当院の方針ですので」と。みんなが「介助と看護はちがうし、厚労省により病院での重度訪問介護の利用は保証されている」といっても耳をかさなかったらしい。そうこうしているうちに「病状が安定してきたので退院」という話になった。僕がめんどくさくなったので放り出したのだろう。ひどい話だ。 実際、安静にするしかやることはないんだけど、体調がなかなかもどらず、しばらくつらかった。大田区は、病院で重度訪問介護を利用するに当たり「支援区分」を問わない独自のルールを設けてるんだけど(これは大変いいことだ!)」、こんなんじゃ、それが活かされない。がっかりだ。

立場の難しさ

 立場の難しさ

 僕が若い頃に会った大田区の職員がいた。彼はとても素晴らしい尊敬できる人だった。具体的な場面では障害者の立場に立ってものを考えてくれていた。いろんなところで会ったんだけど、バリアフリーに関する僕の意見に熱心に耳を傾けてくれていた。後、支援費制度になったときなどは、担当者ではなかったけど、僕を含めていろんな人にきちんと時間を支給しようと頑張っていた。
 それだけ頑張っていた人なので、彼は出世していった。でも出世するとしょうがないことなのかもしれないが、立場上大田区を背負うことになるので、障害者の立場に立って行動することはできなくなっていったようだ。最終的に、福祉関係の偉い人になったみたいだ。その時僕は大田区を相手に訴訟を起こしていた。彼が交渉の場に出てくることはなかったけど、悲しいことに彼は僕の「戦う相手」の場所にいたんだ。

 同じようなことがいくつかあった。学生の頃からボランティアで介助をやり、青い芝の映画「さよならCP」の上映会会などを企画していた熱心な人がいた。彼も大田区の所委員になっていた。僕は、自分の移動時間が削減された際、直接区長に直談判しようとしていた(もちろんそれまで幾度どなく区の人たちと話し合っていたけど、聞く耳を待ってくれないので仕方なく区長に言おうとしたんだ)。庁舎に行ったとき、幾人かの職員にそれを阻止された。その差死しようとした職員の中に悲しことに彼がいたんだ。

 立場を変えて、もし僕が彼らの立場だったらどうするだろうと考える。その当時は「なんで彼があっち側なんだよ」とむかついていた。しかし今考えてみると、彼らのつらさがわかるようになる。でもやっぱりどうたらいいのかわかならい。かれらが正しいとも思えないし、単純に間違っているとも思えない。

八木下さんの思い出

八木下浩一さんが2月10日亡くなった。
彼は、学校問題に取り組ん℉だし、全国障害者解放運動連絡会議元代表幹事だったひとだ。
運動家として名前が知られている。

彼とはちょっとした、でも忘れられない思い出がある。

僕は高校3年生の時、歩いていたら、駅員に酔っ払いと間違われて捕まった時がある。
僕はそれが悔しくて新聞に投稿した。「障害者を理解しろ!」と。

その新聞を見た友達がある勉強会に呼んでくれた。
そこで八木下さんに会った。
細かいことは覚えていないけど、彼は「障害者はロボットじゃないよ」と言ってくれた。
よく考えると、ホントのことだと思う。

健常者の言う事ばっかりきくと、よくないという解釈をしている。
2・3年前に、別の運動家の人も同じことを言っていた。

でも、そんなホントのことを言ったのに、後で八木下さんに会った話をしたら、
「お前とは会ったこともない」と言われた。

だけど、八木下さんはかっこいい人だなと思った。
プロフィール

鈴木敬治

Author:鈴木敬治
ただの障害者です。たまたま変わったところがありますが、当り前な生き方をしています。
野球はヤクルト、音楽は吉田拓郎をこよなく愛しています。
フォークソングが大好きで色々な人の歌を聴きます。

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