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ヘンな話だ

今年の2月のある夜、足が痛くて救急車をよんだ。救急を受け付けている病院に運ばれていき、検査をした。結果、「ほうかしき炎」という細菌がからだに入って腫れる病気だった。
最初、ベッドの空きがないということで、集中治療室に入れられた。集中治療室だったので介助をつけられないのはわかる。で、ベッドが空いたら一般病棟に移ることになっていた。ここで問題が起こった。病院側が、介助者が入ることを拒否するんだ。「新型コロナが…」とか理由をつけて 。

 さらにおかしいことがもう一つあった。僕自身は集中治療室に入っていたので聞いていないけど、介助者のひとが病院と交渉しているとき、病院から「延命措置を望みますか?」と繰り返し聞かれたらしい。介助者が「もちろん希望します」と答えたら、それを確認できる書類はあるか?」としつこく言ってきたということだ。新型コロナに備えて僕は自分の既往症や通院歴などを書いた「救急情報シート」を用意していたんだけど、介助者がそれを見せてようやく納得したらしい。恐ろしく変な話だ。僕は「治療の差し控えと中止」(いわゆる消極的安楽死)には反対だ。それは命の選別につながるからだ。でも仮に百歩譲ってそれが「あり」だとしても医療機関が「延命治療は不要」と本人が言った証拠を見せろと詰め寄るならわかるけど、「希望する」ということに証拠を見せろ言うのはとは全く理解できない。新型コロナの状況下でとてつもなく変なことが怒っているのかもしれない。

 介助については、厚労省は「新型コロナ」にかかろうがかかるまいが、「支援区分6」の障害者に限ってだけど病院での重度訪問介護の利用を認めている。僕はこれを何度も厚労省に確認してきた。それにもかかわらず、病院側は一方的に拒否してきた。介助者のみんなもおかしいと思い、行政の担当のひとを連れて病院に行っていっしょに交渉した。それでも病院側は認めなかったとのことだ。「当院の方針ですので」と。みんなが「介助と看護はちがうし、厚労省により病院での重度訪問介護の利用は保証されている」といっても耳をかさなかったらしい。そうこうしているうちに「病状が安定してきたので退院」という話になった。僕がめんどくさくなったので放り出したのだろう。ひどい話だ。 実際、安静にするしかやることはないんだけど、体調がなかなかもどらず、しばらくつらかった。大田区は、病院で重度訪問介護を利用するに当たり「支援区分」を問わない独自のルールを設けてるんだけど(これは大変いいことだ!)」、こんなんじゃ、それが活かされない。がっかりだ。
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立場の難しさ

 立場の難しさ

 僕が若い頃に会った大田区の職員がいた。彼はとても素晴らしい尊敬できる人だった。具体的な場面では障害者の立場に立ってものを考えてくれていた。いろんなところで会ったんだけど、バリアフリーに関する僕の意見に熱心に耳を傾けてくれていた。後、支援費制度になったときなどは、担当者ではなかったけど、僕を含めていろんな人にきちんと時間を支給しようと頑張っていた。
 それだけ頑張っていた人なので、彼は出世していった。でも出世するとしょうがないことなのかもしれないが、立場上大田区を背負うことになるので、障害者の立場に立って行動することはできなくなっていったようだ。最終的に、福祉関係の偉い人になったみたいだ。その時僕は大田区を相手に訴訟を起こしていた。彼が交渉の場に出てくることはなかったけど、悲しいことに彼は僕の「戦う相手」の場所にいたんだ。

 同じようなことがいくつかあった。学生の頃からボランティアで介助をやり、青い芝の映画「さよならCP」の上映会会などを企画していた熱心な人がいた。彼も大田区の所委員になっていた。僕は、自分の移動時間が削減された際、直接区長に直談判しようとしていた(もちろんそれまで幾度どなく区の人たちと話し合っていたけど、聞く耳を待ってくれないので仕方なく区長に言おうとしたんだ)。庁舎に行ったとき、幾人かの職員にそれを阻止された。その差死しようとした職員の中に悲しことに彼がいたんだ。

 立場を変えて、もし僕が彼らの立場だったらどうするだろうと考える。その当時は「なんで彼があっち側なんだよ」とむかついていた。しかし今考えてみると、彼らのつらさがわかるようになる。でもやっぱりどうたらいいのかわかならい。かれらが正しいとも思えないし、単純に間違っているとも思えない。

八木下さんの思い出

八木下浩一さんが2月10日亡くなった。
彼は、学校問題に取り組ん℉だし、全国障害者解放運動連絡会議元代表幹事だったひとだ。
運動家として名前が知られている。

彼とはちょっとした、でも忘れられない思い出がある。

僕は高校3年生の時、歩いていたら、駅員に酔っ払いと間違われて捕まった時がある。
僕はそれが悔しくて新聞に投稿した。「障害者を理解しろ!」と。

その新聞を見た友達がある勉強会に呼んでくれた。
そこで八木下さんに会った。
細かいことは覚えていないけど、彼は「障害者はロボットじゃないよ」と言ってくれた。
よく考えると、ホントのことだと思う。

健常者の言う事ばっかりきくと、よくないという解釈をしている。
2・3年前に、別の運動家の人も同じことを言っていた。

でも、そんなホントのことを言ったのに、後で八木下さんに会った話をしたら、
「お前とは会ったこともない」と言われた。

だけど、八木下さんはかっこいい人だなと思った。

名前と歴史

昨日1月8日、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」事件の初公判があった。
被害者の名前はまだ全員は公開されていない。
それはおかしい! 名前はその人の歴史だと思う。
だから名前は大切に扱うべきだと思う。

私は昔からそう思っていた。
この事件とは直接関係ないが、私がそう思った出来事をちょっと書きたいと思う。

私はその頃、作業所に通っていた。作業所の職員がなぜか威張りはじめて、
自分のことを「先生」と呼べ言い、また私のことを「敬治ちゃん」と呼び始めた。

私は当時31歳でどうやっても子供には見えなかったはずだ。
それなのに、職員は私の名前をちゃんと一人の人間に対するようには扱わなかった。

私は「カチン」と来て、考えた。
名前はその人の歴史であり、重みをもつ。
それを大事に扱わないということは、
その人をちゃんと扱わないってことだと思った。

もちろん親しみを込めてあだ名で呼ぶ場合はあると思う。
でも、それは、いつでも通用するもんじゃない。
普段はきちんと呼ぶべきだと思う。

作業所、施設、養護学校ではこういうことが頻繁に起こっている。
別のことと見えたとしてても、奥ではこういうことが事件につながっていくと思う。

「社会が悪い」の一言で済ますんじゃなくて、
目の前のことにきちんと注意を払いながら、やんなかったら、何も変わらないと思う。

不思議な縁

この前、沖縄の友人から聞かれた。

「あの人(共通の知人)とはどうして知り合ったの?」、と。

思えば、高校二年の時、ちょうど18の頃、ぼくは、駅で酔っ払いと間違われ、交番に連れていかれたことがある。とても悔しかった。その思いを新聞に投稿した。


ちょうど僕の学校で後輩のボランティアをしていた人が、この記事を読んでくれた。それで、ぼくに声をかけてきた。この人は僕の家の近くの人であることがわかった。それもあって仲良くなっていった。


 彼は学校外のいろんな人を紹介してくれた。そのことで僕の世界はぐんと大きく変わった。彼はとくに僕の仲間になるようにと、障害を持って活躍している人たちを紹介してくれた。僕は僕で、彼に支援者としてやっている健常者をいっぱい紹介した。

 彼は、自然を大事にする人だった。インドのガンジーの言葉を座右の銘としていた。彼はすでに亡くなったけれど、彼が千葉で取り組んだ仕事は今も続いている。奥さんが彼の遺志を継いで農家をやっている。

 僕はその生きざまはとてもいいと思った。このまえ、たまたま、奥さんの仕事がテレビで取り上げられていた。とてもよかった。

 不思議な縁に感じるんだけど、僕が彼に紹介した人と、彼が僕に紹介してくれた人は、いまは、それぞれ直接つながって仲間になっている。昨日もそのイベントに参加してきた。また、このことを思い出させた沖縄の友人は、彼の農地の近くで坊さんをやっていた。なんか不思議な感じだ。
プロフィール

鈴木敬治

Author:鈴木敬治
ただの障害者です。たまたま変わったところがありますが、当り前な生き方をしています。
野球はヤクルト、音楽は吉田拓郎をこよなく愛しています。
フォークソングが大好きで色々な人の歌を聴きます。

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